高齢者親子二人暮らしJIBIRAのブログ

高齢者親子の日々の生活や経験を綴ります~☆彡

今週のお題「冷やし○○」 冷やし中華を初めて食べた思い出

今週のお題冷やし中華」にしました。

 私のブログは暗い内容ばかりですが、今日のもそうです。

 私の父はいわゆる「酒乱」で、私が子供の頃から頻繁に毎日のように家庭内で暴れていました。世間の「ちゃぶ台返し」どころではありません。仕事や外でのストレスを家庭内で発散していたのでしょう。それにしても、度が過ぎていました。

 外で飲んで帰宅しても、家で飲んでいても、何かしら難癖をつけます。私が咳をすれば、お前わざと咳をしてるな、料理の味が薄い濃ゆい等々。テレビの番組内容にまでケチをつけたり。突然、お酒のグラスを投げ付けます。テレビをたたき割る、ガラス戸も蹴って壊す、タンスの扉を割る、包丁を所かまわず突き立てる・・・家の畳や床がガラスの破片だらけになります。素手でガラスを割って手を切ってもへっちゃらです。母にも殴る蹴る髪をつかんで引きずり回す。私たち子供は、自分の部屋で頭から布団をかぶって早くおさまりますようにと祈るばかりです。下のきょうだいが怖くてよく泣くので、私はなだめるのがやっとでした。

 物を壊すだけならまだしも、母への暴力が尋常ではなかったので、よく母子で逃げました。近所の方々の家にかくまってもらって、朝方暗いうちに、父が眠ったか様子を探って、そろりと帰ったものです。

 そのうち、父は、かくまってもらった人たちにも文句を言うようになったので、暴力の程度がまだ軽いうちは庭に隠れたりしましたが、家にいられないほどの暴力の場合は、安旅館に一泊したりしました。

 私が小学校5年生のとき、あまりにもひどい暴力の日があり、母の親戚の紹介で会社経営者の空いていた借家に住まわせてもらい、母は仕事に就きました。ちょうど夏休みで、私たち子供は、日中母が仕事に行っている間、経営者宅で過ごしていました。私は子供ながらも、そのお宅の家事をよく手伝いました。

 やっと、本題です。そのお宅は大家族でした。ある日の昼食に「冷やし中華」を作ることになり、私もキュウリを刻んだり手伝って、十人分くらいあったと思います。うちの家庭では、冷やし中華を食べる習慣がなく、生まれて初めて食べたのです。

 父からの解放感もあり、その家族の方々の優しさに触れたこともあり、その「冷やし中華」の味は格別に美味しいものでした。キュウリのしゃきしゃき感、みずみずしいトマト、ロースハム、錦糸卵、甘酸っぱいタレ、紅ショウガも添えて。皆で楽しくおしゃべりしながら、ほんとうに美味しかった!

 その楽しい夏休みは、父の執念により、終わりました。親戚中を探し回り、やむを得ず、帰ることになったのです。母はずっと離婚したかったのです。でも、逃げても逃げても探し出すその執念の源は何なのだろう。家族に見捨てられて孤独になりたくなければ、反省すればいいのに、到底不可能でした。

 壮絶な日々の中のつかの間の美味しい思い出「冷やし中華」でした。