母と祖母のビックリ会話エピソード
母方の祖母は、冷静で賢く料理も上手で、独身時代は教員をしながら家業の経理などの手伝いもしていました。結婚後は夫である祖父の事業の補佐もするなど、使用人の教育もしており、皆から尊敬され感謝されていたようです。
祖父も地域の役員や今でいうところのボランティアや学校のPTA会長など、社交的で慈善事業にも力を入れていたようです。祖父祖母とも知性と教養があり、伯父がその血筋を受け継いだようです。
母はといえば、長女ということもあり、祖父から甘やかされ、わがままで、我慢のできない子供に育ちました。そのくせ、見栄っ張りで劣等感の塊でもあります。何を教えても言うことを聞かない母に対して、祖母はいつも冷静で声を荒げることもなく、淡々と躾をしたそうです。物事の道理や人間の情など、いつも母に言っていたそうですが、母はいつもうわの空で、内緒で芝居や映画を見に行くことばかり考えていたそうです。
祖母は、華やかで社交的な祖父とは正反対で、明治生まれにありがちな保守的な人でした。母は派手好きでおしゃれなところは祖父に似たようで、祖母からいつも諭されていました。
街を行きかう人やポスターなどで、派手な格好やマニキュアを塗っている女性とかを見るたびに、祖母は母に言っていたそうです。「あんなソウビレイみたいに派手な格好をしたらいけないよ。女性は質素で上品でなければいけないのよ。」事あるごとに、「ソウビレイみたい、ソウビレイみたい」とよく言っていたそうです。
母は「ソウビレイ」が何のことかはわからないまま成長して大人になったのでした。言葉だけは覚えていたそうです。
時は変わって、1997年、話題の映画が発表されました。
それは、日本香港合作の「宗家三姉妹」です。母も私も歴史物などの映画・ドラマは大好きで、レンタルビデオになったとき、自宅で一緒に見ました。
映画の後半、ストーリーも盛り上がりを見せ、山場を迎えます。「宗家三姉妹」の運命的な人生の最終場面で、母は末妹のファッションに目を奪われます。
「あ!これがソウビレイだ!これがソウビレイだったんだ~!」
派手な毛皮をまとい、パーマのかかった髪、どぎつい化粧、真っ赤なマニキュアの指先、ハイヒール・・・
母はちょうど還暦を迎えたばかりでした。祖母は前年にもう亡くなっていました。
母は涙を流しながら、「お母さんはいつも宋美齢のことを言っていたんだね。格好だけでなく、生き方も・・・」
祖母が生きているうちに、「宋美齢」のことがわかれば、笑い話になったことでしょう。母親を亡くした実感がよみがえったことと、無知な自分に対しての情けない気持ちがあふれたのだと思います。「還暦になって、やっと宋美齢のことがわかるなんて、お母さんごめん・・・」
母は学校の成績は良くありませんでしたが、センスの良さと手先が器用なこと、読書・演劇・映画・歴史が好きなところを、両親から受け継いでいたのでした。そして、かく言う私も母と好みは同じです。
あ、それが母の長所になるのかなあ・・・私も現在母との時間を大切にしたほうが良いのだなあ。